写真の良し悪しについて。

 これは、写真だけに限った話ではないと思うのですが、芸術、あるいは表現、とする写真の良い悪いがよく解らないという話をよく聞きます。すべての作品は、見る側の好きか嫌いか、それによって、見る人それぞれに対するその作品の価値が決まるものだと思います。まずそれがこの話とはもうひとつ次元の上のルールだということを理解した上で、では、個人的ではなく、一般的なその作品の価値というものはなんなのでしょうか?
 まず思い付くのが、好きだと思ってくれる人が多い作品の方が、少ない作品よりも良いのではないか、という考え方です。これは、一概にはそうとは言えないのではないでしょうか。例えば、好きだと思ってくれる人がいくら多くても、その作品をみて、傷付く人が少なからずいる作品です。分かりやすい例として、ドリフの御葬式コントがあります。高木ブーさんの、とぼけた死体役や、いかりや長介さんのお坊さん役などは、その役どころだけですでに笑えそうですが、お父さんを亡くしたばかりの子供にとってはどうでしょうか?
 すべての作品は、見る側の主観で見ますから、どう感じるかは予想の範囲から飛び出すことがありますが、そういったことがある程度考えられる範囲内では、排除したほうがいいと考えます。実際私が、友達をモデルにスタジオで撮影をしていた時、彼がいろいろと小道具を持ってきていて、その彼の考えたポーズを撮っていたときのことです。聖書を踏み付けたポーズを撮ってくれと頼まれたのですが、傷付く人がいるような写真は撮れないと、断りました。
 そういったおもいやりのないものでないのであれば、好きだと思ってくれる人が多い方が良い作品だと私は思います。そして、その好きに思ってくれる人は、評論家でも、銀行員でも、子供でも大人でも、同じ一人だと私は思います。

 私が写真を見る時に、心掛けて見るのは、その作品が、その人にしか撮れない(または撮らない)作品であるかどうかということです。要するに、他の人でも撮るような作品なら、以前にも誰かが撮っているだろうし、見飽きているのです。やはり今までに見たことのない作品のほうが、見ていて面白いし、撮る意味があると思います。他の人でも撮れるなら、そのひとが撮らなくてもいいではないかと考えます。