2月15日から19日までの日記

2月15日(水)

14日は事務所で徹夜で仕事。別に徹夜してまでやらなくても大丈夫だったのだけれど、なんとなくできるうちにやらなくてはという思いがあった。滞っていたサイトの更新もできた。一睡もしないのは久しぶりだった。
朝、病院から電話。すぐに事務所から病院へ向かう。胸水のドレーンの説明を受けていなかったので、そのことかなとも思いつつ、やっぱり親父は決定的に良く無いんだろうかと思いつつ、何ごともとにかく先生の話を聞いてからだと考える。
病室に着くと、親父の呼吸はかなり早く、かなりしんどそうだ。意識も微妙で、会話もほとんどできていない。「しゅーん、缶ビールかなんかなかったか?」
先生の話によると、親父は今、間質性肺炎というのになっていて、とても危険な状態だということ。今日明日の急変もあり得るということで、沖縄の兄貴に電話した。思っていたよりもずいぶんと早く兄貴に戻ってきてもらうことになった。親戚にも連絡。病室に戻るとY子叔母さんが来てくれていた。親父の兄弟が順番に来てくれている。病室の外で叔母さんに状況を話すと、叔母さんの目には涙がうかんでいた。Sみえ叔母さんや、病院の前で警察を振りきり、Y雄叔父さんたちも来てくれた。親父は動くと血中酸素濃度がすごく下がってしまい、しんどくなるので、叔父さんたちは親父をびっくりさせないように、顔を会わせず、帰っていった。僕の彼女も来てくれた。
みんなの帰った後、キャンセル待ちの飛行機に思ったよりも早く乗れた兄貴が到着。やはり兄貴がいると心強いが、まるで一週間前に戻ったみたいだ。親父から伸びている管の数がだいぶ増えている。
要するに、肺がうまく酸素を取り込めない、というか、酸素を血液に受け渡すのが難しくなっている。そのため、いくら口から酸素を送っても、肺が機能しなければ、血中の酸素濃度は下がってしまう。酸素ボンベはこれまでに聞いたことの無いくらいにうるさく酸素を送り続けている。
親父は結局もう口から水を飲んだり、ものを食べたりできるようにはならないようだった。うがいができるようになる前、水を口にスプレーしてしめらせてもらおうと僕が霧吹きを100均で買ってきたのを、たまにまだ使っていた。今日も霧吹きを要求してきた。「シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。」僕はいつもよりも多めに口の中に霧吹いた。親父ののどがゴクリと動いた気がした。
これで勘弁してくれ親父。
親父には、また眠ってもらった。今回はプロポフォールという薬で、投入するときに先生が、呼吸がとまった時に対処できるようにと、酸素マスク?人工呼吸器?なんていうのか知らないけど、用意していた。あとで調べると、この薬を使うときは、そういう準備をしなければいけない決まりがあるようだった。ようするに、全身麻酔の薬で、ドルミカムや、コントミンにことごとく反抗してきた親父も、今回ばかりはお手上げだった。
眠った親父は、呼吸も落ち着き、95%くらいに血中酸素濃度が上がってきた。
この日も含め、三日間、ステロイドを大量に投与する、ステロイドパルス療法だっけか、しか、今回への治療手段は無く、しかもこれがうまく効く可能性も50%無いという話だった。
前回と同じく、ベッド、掛け布団、敷き布団、毛布を一個づつ借り、ベッドと掛け布団を兄貴が、敷き布団と毛布を僕が使い、24時前には寝た。

2月16日(木)

全日に徹夜をしていたこともあってか、というか寝ることと食べることくらいしかすることが無いからか、結局僕が起床したのは10時くらいだった。
昼間は84%とかくらいで安定していた気がする。点滴の量が増えたこともあって身体の水分が増えたからということで、タンが絡むようで、ぜいぜいと呼吸の度に音がするようになった。けれど、何度かタンを吸ってもらい、気が付くと音はしなくなった。あと、ステロイドで、40度近かった熱があっさりと下がっていた。最初の方、34度代でびびるも、36度代で落ち着いた。朝よりも、昼、夜になると、親父の呼吸の回数ががくんと減った。一回呼吸をしてから、5秒くらいしてからまた呼吸。このまま止まるんじゃないかと不安はあるけれど、酸素濃度は下がらず、90%くらいへむしろ上がっている。少ない呼吸は逆に身体がしんどくないという証拠なのか。でも親父のペースを真似てみると、とてもしんどい。
この日の来客、彼女、Y雄叔父さんの息子家族。
病室に泊まっていると、コンビニ弁当みたいなものばかり食べている。僕は普段コンビニ弁当はなるべく食べないようにしているのがよかったと思った。普段から食べていたら、こんなにコンビニ弁当ばっかりに堪えられるだろうか。まあ堪えられるか。
弟はうんこばかりしています。実家には無い便座が暖かいシステムがそうさせていると思います。

2月17日(金曜日)

朝、酸素濃度は94%まで上がっている。あ、今97%。
ステロイドを大量に投与できるのは今日までなので、なんとかいい方向に向かって欲しい。明日からステロイドを減らした時、この酸素濃度を維持できるだろうか。ひょっとしたら、ぐっと下がってしまうかもしれない。先生が、週末を乗り切れるかどうかと言ったのは、そういう意味なんだろう。
僕は病室の床に布団を敷いて寝ているのだけれど、夜も看護士さんは点滴の交換や、親父の向きを変えに来てくれる。看護士さんは、やはり女性が多く、スカートの人と、ズボンの人とがいるのだけれど、スカートの人が親父のねがえりをしに来ると、スカートの中が見えるんじゃないかと心配して、僕は顔をそむけなくてはならないので、少し困る。
Y雄夫婦、J平叔父さんが来てくれた。J平叔父さんはレアキャラなので、兄貴とは小さい頃以来、初対面。
酸素濃度が99%とかになってきたので、酸素の量を少し減らす。昨日のレントゲンでも、肺はやっぱり真っ白だったらしい。また明日レントゲンを撮るらしい。酸素濃度が高くなっても、逆に二酸化炭素が下がらないかなんかであれらしい。親父の手足がものすごいむくんでいる。ドラえもん
夜、A塚先生が来て、親父の酸素を鼻の方を止めてみる。それでも97%を維持。肺は回復しているのか。明日採血とレントゲン。呼吸数、一分に5回。

2月18日(土曜日)

昨日から熱が高くなってきた。朝、39度越える。冷やす。それにしても呼吸が少ない。でも酸素濃度は高い。
レントゲンと採血。
手がむくんでいるので、腕時計を外す。酸素8リットル、99%。
夜、彼女が来てくれ、吉野家ですき焼き定食をお持ち帰りして、兄貴と三人で食べた。もう、弁当を食べるのにも飽きてきた。もうすぐ夜の10時、まだ先生は来ない。もう布団を敷いた。レントゲンと採血の結果は明日の朝聞けるだろう。
今日は事務所の模様替えの日だったけれど、行けなかった。僕の机とかを主に動かすのに、準備もなにもほとんど出来なかった。みんなには申し訳ない。そしてありがとう。

2月19日(日曜日)

昼間、Sみえ叔母さんと、いとこのOりえさんと、その息子のK樹が来てくれた。その直前まで、僕と兄貴は昼飯を何を買いに行くかで言い争っていたのだけれど、そんな僕らの空気とは裏腹に、Oりえさんは泣いていた。
昼御飯は、カルビビビンバを食べた。それからお腹が痛い。
福島から、M雄叔父さんが来てくれた。お兄さんも一緒に。
酸素の量はかなり減らしても、安定している。肺はどうなっているのだろうか。まだ先生は来ない。
兄貴と喧嘩。口の聞き方に気をつけろと、親父と同じ台詞。