デジタルカメラの登場はもはや過去であることを知る以前に、もはやデ

もはや、デジタルカメラがあたり前となり、パソコンを持つ若者はデジカメを買うのが普通になっている。さらに、デジカメで撮られた写真は、プリントされることの方が少ない。デジカメの液晶ファインダーの大型化が望まれる理由が、ここにもある。
世間でデジカメがあたり前になった中、写真学校の中にも、暗室の授業の無くなった学校もあるという。デジタルがもう普通になってきている。
ダゲレオタイプを始めとする『写真』の登場により、当時の人々の意識はきっと大きく変わったことだろう。けれど、今僕達の生きる時代は『写真』の登場によって意識が大きく変わった後の時代であり、過去を振り返り、(ああ、写真の登場ってすごいことだったんだなあ)と展覧会などを見て考えるのは興味深いことではある。要するに、過去との対比でしか意識の違いは意味をなさない。
デジタルカメラの登場」も「写真の登場」とよく似た出来事だと言われることが多い。当初はデジタルも、銀塩との比較においてその性能や面白さに驚かされたものであったろうと思う。そう、もはや今の若者は「デジタルカメラの登場」によって意識が大きく変わった後の時代に生きている。デジタルが当たり前の今、デジタルならではの面白さというのは、ある意味、まったく意味を為なすものでは無くなってきていると言って、間違いない。
と、普通に感じるんだけどなあ。