写真作品にあるべき本当の価値

「作品とエネルギー量」の記事では、見た目そっくりなら写真よりも油絵の方がより心を動かすと書きました。
これは、「油絵>写真」ということでしょうか?


絵と写真の違いとは何でしょう?
絵は、自分の中から出すもの。つまりはアウトプットです。
写実的な絵であっても、いったん自分が見て、脳で処理したものをアウトプットしているわけです。


逆に写真は、自分の外から抽出するもの。インプットとでも言いましょうか。
ちょっと違うけどいいや。テイクアウト?ピックアップか?
自分のイメージしたそのままに写真で表現しようとしても、それは限界があります。
自分の意思以外の影響が大きすぎるからです。


その日の天気、光の具合、被写体の表情、通りすがりのおっさん、、、
これらは、自分の意思でコントロールするのは難しいです。
絵なら、それらは自分で決めて描きます。というか決めなきゃ描けません。


コントロールしきれないのが写真。
そしてそれこそが、写真の持つ大きな魅力です。
ひとことで言うと、「偶然性」ですね。
この偶然性というのはとても魅力的なものです。
見る人の予想を裏切る結果が現れる可能性が高まるのです。


期待とのギャップこそが、見る人のこころを動かす大事なポイントでもあります。




なので、アウトプットでも、自動筆記とか偶然性を取り入れようという方法もあります。
ロールシャッハとか面白いですよね。


頭の中のアイデアを写真にしようとするあまり、「偶然性」を犠牲にしてしまう人もいます。
するとどうなるか。


「え?広告写真かと思った。」
「これが絵だったら面白いかもね。」


となります。


偶然性をそがれた写真作品は、絵を描くのがめんどくさいから、簡単だからという理由で写真という技法を用いられたように見えてしまうのです。
実際、写真学校へ進学するひとたちの6割くらいは、
「芸術っぽいことしたいけど、絵とか描けないし。写真ならシャッター押せば撮れるからなんとかなるんじゃね?」
という理由で写真を選択しているとにらんでいます。
というか僕がまさにそれでした。


美大の入試ってデッサンあるの?ムリムリムリ、、、




仕事で写真を撮る場合は、この写真の大きな魅力であるはずの「偶然性」は求められません。
というか排除されます。出来レースです。やらせです。


作品制作にかけるエネルギー量を確保するために必用な時間を確保するために
ニートになれず、フリーターも嫌な人の多くは、「カメラマン」を選ぶ人が多いです。
バイトよりも効率がいいだろうし、就職するより自由な時間が多いのは確かです。


そして仕事で求められるのは「偶然性」を排除した写真。
必然的に自分の作品からも偶然性が漏れ出して、心の動かない作品の誕生となってしまうことも。


偶然を意識する。期待を裏切る。というのが今回のキーワードでした。