清里 ヤング・ポートフォリオ選外

先日、清里へ応募した写真が、着払いで返ってきました。
父が亡くなった時の写真9枚だっけ。新世紀も7枚だっけ、で応募して駄目だったのですが、正直に言うと、どちらも予想外でした。それは、自分にとってこれまでで一番素晴らしい写真であると思っているからです。って、言葉でどうこう言ってもしょうがないのであれですけど。とは言え、他人に評価される写真が良い写真だと感じる季節はとうの昔なので、まあいいのですが、あの写真はぜひ永久保存したいと思っていたので、やはり残念です。
とはいえ、実は審査員の一人に「君のは確か駄目だったんじゃないかな。」と言われていたので、まあそうかと思っていたので、まあそうか。清里は、三人の審査員が三人ともマルを付けなくては買い取りにならないそうで、しかも新世紀同様、たくさんの応募があるので、マルが二つの作品を、もう一人を説得したりして三つのマルにする、という作業はまず行なわれないということを言っていました。まあ年度によって審査員も違うし、毎年がそうというわけではないでしょうが、そう考えると選ばれるのはけっこう大変なことなんだなと思います。応募も増えてるみたいだし。
清里はどこかの宗教法人がやっているらしいけれど、これまで勧誘どころか、宗教の臭いも感じていないので、とくに気にしていないけれど、日本人は宗教を毛嫌いするようなところがあると思うのだけれど、そういう人たちもだいたいみんな仏教徒なんだよなあ。日本ほど神様を信じない人たちは居ないんだろうなあとテレビとかの安い情報だけど。僕は親父の納骨式にもお坊さんを呼ばないくらいの無宗教者なので、お墓も一人で行かないし、仏壇にお線香もまったく焚かないのですが、自分に子どもが生まれたとしたら、文化として、お盆やそういった行事はちゃんと伝えて行きたいと思っています。10年前に母が亡くなってから、法事で親戚が集まることも、死者のためではなく、生き残っている者たちのための行事であるんだということもちゃんと分かってきました。そういえば親父は自分は線香を焚きもしないのに僕には線香を上げろと言ってたなあ。僕は、「線香をあげるかどうかじゃなくて、心でどう思っているかが大事なんだ」と言ってめったに上げなかったいたけど、僕が線香をあげればそれで親父が満足するならもっと焚いておけばよかったかな。ようするにそういうのが大人っていうんだろうなあ。と、しんみりしたまとめ。