「うめめ」に見る、スナップショットのエネルギー量

まだ昨日のブログ記事「作品とエネルギー量」を読んでない人は読んでからの方がいいかも。
めんどい人のために一言でまとめちゃうと、「手間暇をかけた作品の方がいいよね。」ってことです。


「うんうんまったくそのとりだよきみ!」と思った人はあんまりいないでしょう。


「パシャっと撮ったスナップショットでも良い作品ってあるよね?」
マルセル・デュシャンレディメイドって評価されてるんじゃ無いの?」
レディメイドとは既製品の便器にサインしてこれが作品ですって言ったりすること)


この二つの疑問が頭に浮かんだ人は、僕と気が合います。


今回の記事では、スナップショットのエネルギー量について書いてみます。
レディメイドについては気が向いたら次回にでも。)


スナップショットで素晴らしい作品と言えば、梅佳代の「うめめ」ではないでしょうか。
いわずと知れた木村伊兵衛写真賞作品です。


※以下、あえてほとんど調べずに書きます。ので、間違ってたら誰か教えて下さい!


うめめは、日常の中の思わず笑ってしまうような一瞬を集めた写真集です。
写真撮りがこの写真集を見るとわかります。
「そうとう撮影に時間がかかっていること」そして「カメラを常に撮れる状態でスタンバイしていること」が。
一年中カメラを首からぶら下げて、「うめめ」に載せられるレベルの写真が撮れるのはせいぜい年に数枚でしょう。


実際、写真展のときに写真に入ってる日付をみたらそんな感じだったのを覚えています。


ここで、「作品とエネルギー量」について考えると、、、
もう分かりますね。


スナップショットを撮るのは確かに手軽だけど、数枚をものにするためにまるまる一年つぎ込んでいるんです。
週末だけカメラを持ってでかける人は、だいたい「8時間×2日×52週=832時間」
一日中カメラをスタンバってる人は、だいたい「16時間×365日=5840時間」
その差約7倍。
作品に込められるエネルギー量にして、7倍の差があることになりますね。


一枚の写真だけ考えるとスナップショットは簡単なようだけど、そうやってエネルギーを込めないと駄作にしかならないってこと。
作品のクオリティはエネルギーとの等価交換なんです。


広告写真や広告カメラマンの写真がつまらないのは、作品にこういったエネルギーの込め方ができないから。
だから別の方法でエネルギーを込めるために、他からコストを持ってくる必用があるんです。


無尽蔵にエネルギーをそそげる学生がとんでもなく有利ということになります。
逆に言うと、無尽蔵に時間エネルギーを使える時期にある程度の作品がつくれなかった場合は、今後もまともな作品はつくれません。


それまでと違う方法でなら、ありえます。


普通は使えるエネルギーと、技術的なレベルとのピークが若干ずれるんですよね。
スポーツの世界とちょっと似てます。
肉体的なピークが落ちてきたころに、精神面、技術面が上がってくる。
ベテランスポーツ選手は、誰もが今の精神状態で若い頃からやり直してみたいと思っているはずです。


こんへんは陸上の400メートルハードラーの為末大選手の言葉が参考になるとおもいます。
http://tamesue.cocolog-nifty.com/samurai/2005/09/9_09d6.html


ただ、写真撮りとスポーツ選手とで決定的に違うのは、肉体的なピーク(使えるエネルギー量)を学生時代そのままに、それ以上に保つウルトラCが使えるということです。


そのままに保つのが「フリーター」それ以上がそう、「ニート」です。
以上のことから、作品のクオリティだけを追い求めるなら、ニートが正解になります。

あれ、なんだこの結論…?

作品とエネルギー量について

位置エネルギーみたいなエントロピー的な、熱量、仕事量、つまりはカロリーを、あらゆるものは持っています。
簡単に言うと、手間をかければかけるほどそのエネルギーの蓄積は大きくなります。
ようするに、たまごかけご飯より、オムライスの方が仕事量が高い。
それは作品においても同様です。


純化すれば、作品の善し悪しは心をどのくらい動かされたかで決まります。
物を動かすにはエネルギーが要ります。
作品の持つ位置エネルギーが高ければ、それだけ心を動かす可能性を持っていると言えます。


わかりやすい例を挙げてみます。


2メートル×3メートルの作品が二つ並んでいます。
ある風景を写したもののようですが、ぱっと見まったく同じものに見えます。


でも近づいてよく見ると、ひとつは写真、もうひとつは油絵です。
つまりは、写真と見まごうほどの繊細な油絵。


この場合、写真と油絵とで、どちらがより心を動かすでしょうか?
おそらく油絵でしょう。


それは油絵の方がエネルギーが高いからです。
写真は、パシャリと撮影したら、データを業者に渡してプリントしてもらったものでしょう。
油絵は、おそらく何度も修正を繰り返しながら、何ヶ月もかかって完成したものでしょう。


制作に込められた熱量が違うんです。


作品というより、その物体の持つエネルギーは、作家のみならず制作にかかわったすべての熱量が関係します。
そう考えると、インクジェットプリントよりも銀塩プリントの方がなんかいい気がするのも理解できます。


写真は複製物であるから芸術作品ではないという議論もありました。
それもこのエネルギーを考えるとよくわかります。
複製であるから、同じものがたくさんあるからダメということではないと考えます。


100円ショップで売られるような大量生産された湯飲み。
これは当然、エネルギー、コストがかけられていません。
同じものが大量にあるからではなく、ひとつで考えてもエネルギーが低いんです。
(もちろん大量につくるからコストが下がっているわけですが。)


写真作品においては、流通量を抑えることで作品の価値を高める方法があります。
シリアルナンバー付きのオリジナルプリントというやつです。


これも、数が少ないからいいというわけでは無いですよね。
大量生産された湯飲みを、10個残して全部割ったとしても、その10個の持つエネルギーは変わりません。
(プレミアという値打ちは変わるかもしれませんが。)


作品も、制作量を抑えることで、ひとつにより多く手間をかけられるというわけです。



この作品のもつエネルギーは、当然受け手が感じる物であって
受け手によって感じるエネルギー量も変わってきます。


数ヶ月かけて描いた油絵も、遠くから見てポスターだと思ってる人には
ポスター分のエネルギーしかありません。


つまりは、どのくらいのエネルギーを持つのかが、見る人に伝わるのか、
伝える工夫があるのかも影響するというわけです。


映画とかの宣伝でよくありますよね。
「構想15年。」とか、「制作費用50億円。」とか。



作品にいかにエネルギーを込めるか。
エネルギーがこもっていることをいかに感じさせるか。


ということを念頭において作品をつくるのも大事なんじゃないかというお話でした。

各地の震災による写真の修復ボランティアについてまとめ

東日本大震災により写真が津波とかでひどいことになっているそうです。

思い出のアルバムの中の記念写真は大切な物。

今回はデジカメデータではなく、紙焼き(プリント)の写真の復元のボランティアについてまとめてみました。


傷んでしまった手持ちの写真を修復してもらいたい人はこちら
あなたの思い出まもり隊
http://js-ss.org/news/information/entry-67.html

着払いで写真を送ると修復して送り返してもらえます。


あなたの思い出まもり隊の活動を資金支援する場合はこちらをご覧下さい。
http://js-ss.org/news/information/entry-78.html


また、日本社会情報学会(JSIS-BJK)災害情報支援チームは、持ち主不明の12万枚の写真を洗浄、修復、持ち主を探して届けるという活動をしておられます。


自分が直接汚れた写真の洗浄や複写、スキャン、レタッチなどのボランティアに参加したい方は、JSIS-BJKのサイトをご覧下さい。
http://jsis-bjk.cocolog-nifty.com/


また、個人でも「思い出復元プロジェクト」をしている方もいます。
http://www.23degrees.net/tools/archives/100-unknown.html


サイズはA4までで、3枚まで。送料と返却用の80円切手のみ必要になります。


スキャナを持っているなら、写真が退色(色あせた)したり、ちょっとした傷くらいなら自分でも修復可能です。
エプソンであれば退色復元機能、キヤノンなら褪色補正というのがあります。
うまくできなくても、カビとか生えてくる前にとにかくスキャンしておくことをオススメします。

エプソンのGT-X970などに搭載されているDIGITAL ICEという機能は、紙焼き写真の折れ目、裂け目も高精度に自動除去してくれます。
http://www.epson.jp/products/colorio/scanner/gtx970/digitalice.htm

キヤノンでもごみ傷低減という機能があると思います。

古いスキャナだとダメかもしれません。
お手持ちの機種をご確認ください。


PhotoshopCS5という画像加工ソフトがあれば、大きなキズやとれない泥なんかがあってもあっという間に消すことができます。
コンテンツに応じた塗りってやつで。
体験番をダウンロードしてみてもいいと思います。
廉価版のフォトショップエレメンツ9でも同機能が使用可能です。

追記
フォトサルベージの輪というボランティア団体
http://www.photosalvage.net/

こちらでも、ボランティアを募集しています。
フォトショップが得意な人は、ネット経由で写真データをやりとりしてのお手伝いができるようです。


さらに追記
その他にも多くの団体が写真の洗浄作業を行っています。
ツイッターを検索すると最新情報に簡単にアクセスできます。
こんな感じ。


フォトショップも使えないし、現地にも行けない…という方は、
ハートプロジェクトに参加するという方法もあります。
被災地から郵送されたアルバムを洗浄するボランティアです。

東京都目黒区祐天寺のフォトタカノスタジオプラス
http://takanoinfo.exblog.jp/

静岡県袋井市のすずやカメラ
http://suzuya.hamazo.tv/

新たな洗浄所となる、人材と場所も募集されています。


さらにさらに追記(2011/06/20)
東北カラーデュープ株式会社さんで、傷んだ写真の無償修復が再開されました。
8月末日まで一人2点まで無料で修復してもらえます。
http://www.t-c-d.co.jp/

べ、べつにあんたのためにつぶやいてるんじゃないんだからねっ!

か、勘違いしないでよね!
別にあんたのためにツイッター始めたんじゃないんだからね!
あんたにフォローしてほしいとか思ってないんだから!

http://twitter.com/shunsuketamura
ご、誤解しないでよね。
言っておくけど、義理ツイートなんだから…

スカイフィッシュ 高橋宗正の写真集ができた件

ムネマサ(http://www.munemas.com/)の写真集がついに完成したそうです。

そして、3/28まで、テルメギャラリー(http://www.thermegallery.com/)で「東西東西」という2人写真展開催中。高橋宗正 & 佐伯慎亮 写真展。
 

そして、AKAAKA Galleryにて、高橋宗正写真展「スカイフィッシュ」開催中。
っていうか今日オープニング。
http://www.akaaka.com/gallery/g-upcoming.html
 

さらに、3/27日には、横浜BankARTで行われる飯沢耕太郎ゼミの有志による写真展「みる、つなぐ、ひらく」にて、展示作品公開講評、トークショー「なぜ写真集を作るのか?」
http://mirutuna.com/


写真集はこちらからも購入可能です。
http://www.akaaka.com/publishing/books/bk-takahashi-skyfish.html

 

ムネマサは、セルフイメージで写真を撮る。
そこを尊敬してる。

という今年2回目のエントリー。

醤油ラーメンと単語

この前、あるラーメン屋さんで食べた醤油ラーメンが、おいしかった。
多分僕が食べた醤油ラーメンの中では一番好きかも。

でも、僕は醤油ラーメンよりも、とんこつの醤油ラーメンが好き。
一番レベルの高い醤油ラーメンより、中の下くらいの豚骨醤油ラーメンの方が上位なわけです。

それで思ったのが、「写真」は醤油ラーメンなんじゃないかと。
だとすると、「動画」が豚骨醤油ラーメンになるんだけど。

何を持って「うまい・おいしい」とするかはいろいろあるだろうけど、
単純に「心動かされるか」で考えるとけっこうスッキリいく。

それは、当然情報量による差だと思う。
っていうと、小説より漫画の方が良くて、漫画よりアニメの方が良いってことになりかねないけど、そこはやっぱり行間から伝わるものや、受け手側からのアプローチがあるから、その分小説が上回ることも多い。

じゃあ写真は「小説」か?って言うと、僕は「単語」だと思う。
いくつか修飾語は付けられるかもしれないけど、どうしたって「体言止め」。

写真一枚見て、泣くことはほとんど無いけど、
映画ではよく泣いてしまう。ラブリーボーン見て泣いたもの。

小説でも素晴らしいものには涙が出る。


だから、写真は「単語」。
たまに写真展とか見ると、ただ単語が羅列してあっても、「はあ、そうですか…」としか思わない。

単語にすばらしい修飾語をたくさん付けるのは難しいけど、映像なら写真ほど難しくないんだよね。

っていう今年最初のエントリー。

死んだ親父の病気が治った

沖縄の姪っ子と電話してたら、
「昔のおじいちゃんがね、入院してたけど、治ったかもしれな〜い。」
と言いました。
兄貴の義父さんが入院でもしてたのかと思って、義姉さんに訊ねてみたら、違った。
昔のおじいちゃんっていうのは、東京のおじいちゃん(僕の親父)のことみたい。
姪っ子が生まれてすぐにしか逢ってないのだけれど、どうも覚えているらしい。
昔にしか逢ってないから昔のおじいちゃんって言ったみたい。

親父は食道がんで、最期はなにも食べられないどころか、水も飲んではいけない状態になってしまったので、親父の病気が治って、よかった。

ほんとに良かったよ。